病院案内

赤十字の災害救護活動

赤十字の災害救護活動

災害救護活動は、赤十字の人道的使命感に基づいて行われます。自然災害や人的災害がおこると、直ちに医療救護班を現地に派遣し被災者救護にあたります。
当院は、大災害が発生した際には、いつでも全国へ出動できるように救護班を3班編成しています。また、栃木県における災害拠点病院に指定されており、災害発生時には関係機関と協働し、積極的に医療救護活動にあたります。
災害発生時に迅速・適切に対応できるように、日頃から赤十字救護員としての質の向上に努めている他、赤十字事業の推進者として赤十字の各講習会を開催し、普及にも力を注いでいます。

栃木県総合防災訓練

栃木県総合防災訓練

令和6年能登半島地震での救護活動

令和6年能登半島地震での救護活動

国内災害救護(活動実績)

2019年9月

令和元年度 令和元年台風第15号、19号

令和元(2019)年9月16日~18日、台風第15号で甚大な被害を受けた千葉県館山市安房地区に救護班(班長医師以下計8人編成)を派遣した。安房健康福祉センター管内の避難所、老健施設などで巡回診療を行った。また、同年10月6日に発生した台風第19号は、12日から13日にかけて東日本太平洋側を中心に記録的な暴風雨となり、県内においても河川の氾濫に伴う甚大な被害が発生した。日本赤十字社栃木県支部より日赤災害医療コーディネーターの派遣依頼、栃木県保健福祉部医療政策課「県保健医療調整本部」よりDMATチームの派遣依頼があった。これにより、日赤災害医療コーディネーターを県調整本部へ派遣ならびに当院DMAT1チームを県東地区管内(1市4町)の避難所スクリーニング、栃木市大平下病院へ支援派遣。11月22日、26日には、日赤こころのケア要員を栃木市の避難所へ派遣した。

災害医療救護班要員出発のようす(病院救護倉庫)

災害医療救護班要員出発のようす(病院救護倉庫)

日赤千葉県支部災害対策本部ブリーフィング(日赤千葉県支部提供写真)

日赤千葉県支部災害対策本部ブリーフィング(日赤千葉県支部提供写真)

2017年3月

平成28年度 那須雪崩事故

平成29年3月27日(月)9時ごろ、栃木県那須郡那須町スキー場付近で雪崩が発生。春山登山講習会に参加していた高校生や引率教員ら約40名が、雪崩に巻き込まれました。

同事故発生を受け、当院から日赤災害医療コーディネーターとして医師1名を栃木県災害医療本部に、災害時の心のケアを担当する看護師を活動拠点病院の那須赤十字病院に派遣。いずれも現地スタッフとともに、活動にあたりました。

2016年4月

平成28年度 平成28年熊本地震

平成28年4月14日(木)に起きた熊本地震。最大震度7の激震が、熊本県から大分県地方を襲い、各地に甚大な被害をもたらしました。

4月22日(金)〜24日(日)まで3日間、救護班(班長:岡田 真樹統括管理監)を熊本県に派遣。当院救護班は、他県からの派遣チームと共に、熊本県阿蘇郡西原村の西原村役場前に展開されているdERU(仮設診療所)での診療や 巡回診療の救護活動を行いました。今回班長として活動した岡田統括管理監は、「発災後1週と早い時期であったため外傷の方が多く、他には風邪や胃腸炎の方、高血圧や糖尿病などの普段飲んでいる薬がなくなったという方が来られました。5〜6か所ある避難所の巡回では診療とともに、避難所のアセスメントが重要な仕事でした」と話しました。

小児患者診察のようす(西原保育園前dRUEにて活動)

小児患者診察のようす(西原保育園前dRUEにて活動)

調剤業務(西原村西原保育園にて活動)

調剤業務(西原村西原保育園にて活動)

2015年9月

平成27年度 平成27年9月関東・東北豪雨

dERU内での診察

dERU内での診察

きぬ医師会病院前に設置されたdERU(仮設診療所)

きぬ医師会病院前に設置されたdERU(仮設診療所)

救護班活動のようす(dERU内)

救護班活動のようす(dERU内)

2011年3月

平成22年度 東日本大震災

日本大震災救護活動記録

2011年3月11日(金)、東日本大震災発生。発災直後、当院より日赤救護班およびDMATを被災地(東北地方)へ派遣。約半年間にわたり、日赤救護班8個班を派遣。また、石巻赤十字病院業務支援のため、看護師・薬剤師等を派遣しました。

国際救護活動

当院から国際活動として、スーダン、アフガニスタン、イラン南東部、スマトラ沖地震・津波、ハイチ地震への看護師の派遣を行っています。赤十字本社の語学研修をクリアした看護師が、看護だけでなく国際的視野にたったメディカルマネージャーとして活躍しています。

日赤の看護師は災害の際の救護員としての役割を担っております。国内のみならず、国外の救援活動にも従事しています。赤十字原則のもと、国際的ネットワークを生かし、紛争救援、災害救援、開発協力の分野で人道的援助を行っております。当院でも、国際救援活動へ参加しており、活動内容を紹介します。

当院の看護師の国際救援活動

平成22年5月 ハイチへ1ヶ月
平成17年2月 インドネシア共和国ナングル・アチェ・ダルサルム州へ1ヶ月
平成16年6月 アフガニスタン北部タロカンへ6ヶ月
平成16年2月 イラン・イスラム共和国ゲルマン州バム市へ1ヶ月
平成14年2月 アフガニスタン、バーミヤンへ3ヶ月
平成13年12月 パキスタン、チャマンへ3ヶ月
平成13年2月 ケニア、ロキチョキオへ6ヶ月
平成2年3月 マレーシア、ビドン島へ6ヶ月
昭和57年6月 タイ・カンボジアへ3ヶ月

東日本大震災救護活動記録

2011年3月11日に発生した東日本大震災の際には、発災直後に日赤救護班及びDMATが出動し、石巻赤十字病院をはじめする被災地で医療救護活動を行いました。

2011年7月

石巻赤十字病院 薬剤業務支援

2011年7月7日から16日までの10日間、石巻赤十字病院薬剤部内での薬剤師支援を行って参りました。院内での調剤業務は震災直後の膨大な量に比べたら、だいぶ落ち着いてきている様子でした。しかしながら時間外では、周辺に他の医療施設がないので、外来患者さんの数が多く薬局での先生方は今だに激務を強いられていました。そのため、一次救急施設もしくは他の病院施設の早急な設立が切に望まれていました。
現在、薬剤部では「自立」という言葉を掲げていて私達支援者からの独歩を徐々に目指しています。今回私は、病院の職員、患者さん、地域の人々とふれあって、石巻に住む人達の生きる力強さを肌で感じました。「支援」という形で現地に行きましたが、返って私の方が勇気づけられました。一日も早く、皆様方が安心して暮らせる石巻に戻ることを願います。

石巻
石巻2

2011年6月

医療救護第8班が出動

救護班第8班は、6月4日から6月7日まで福島県会津若松市の会津保健福祉事務所を拠点とし、福島原発の影響で旅館・ホテルなどに二次避難している住民の診療に、救護班(医師1名、看護師2名、主事1名)に加え、薬剤師、保健師、管理栄養士、こころのケアチームなどの多職種の医療従事者が協働し医療支援にあたりました。

避難生活が3ヶ月近くと長期化しているために精神的なストレスの訴えが多く、避難者だけではなくそこに詰めている行政職員や、対策本部のある保健所の職員、受け入れている旅館・ホテルの従業員まで疲弊しているという状況であり、ストレス過重が心配されました。
お忙しいなか、現地で温かく迎えてくださったスタッフや調整員の方々に深く感謝いたします。

救護班第8班
救護班第8班2
救護班第8班3
救護班第8班4

2011年5月

こころのケア救護で釜石へ野澤看護師長補佐を派遣

東日本大震災のこころのケア救護で釜石へ行って。

平成23年5月25日から29日まで、岩手県釜石市の鈴子広場を活動拠点として、こころのケア班(9名:大森赤十字病院、深谷赤十字病院、小川ひなた荘、成田赤十字病院、茨城県支部、ボランティア、看護奉仕団2名)として大槌町の避難所を中心に活動してきました。震災後80日が過ぎようとしていますが、海沿いの大槌町は瓦礫も多く、復興が始まったばかりという印象です。
こころのケア班は、避難所責任者、保健師、医療救護班と連携しながら、リラクゼーションのハンドケアなどをしながら話を聞きました。「ここの魚は美味しいから復興したら観光に来て!」と三陸地震を体験した方から言われた一言が心に残っています。
「負げねっすよ 釜石」で1日も早く復興できることを祈念しております。

こころのケア班
こころのケア班2
こころのケア班3
こころのケア班4

2011年5月

こころのケア救護で石巻赤十字病院へ豊田友子師長が派遣

東日本大震災のこころのケア救護で釜石へ行って。

平成23年5月25日から29日まで、岩手県釜石市の鈴子広場を活動拠点として、こころのケア班(9名:大森赤十字病院、深谷赤十字病院、小川ひなた荘、成田赤十字病院、茨城県支部、ボランティア、看護奉仕団2名)として大槌町の避難所を中心に活動してきました。震災後80日が過ぎようとしていますが、海沿いの大槌町は瓦礫も多く、復興が始まったばかりという印象です。
こころのケア班は、避難所責任者、保健師、医療救護班と連携しながら、リラクゼーションのハンドケアなどをしながら話を聞きました。「ここの魚は美味しいから復興したら観光に来て!」と三陸地震を体験した方から言われた一言が心に残っています。
「負げねっすよ 釜石」で1日も早く復興できることを祈念しております。

負げねぇすよ釜石
震災時
集合写真
救護活動

2011年5月

医療救護第6班が出動

救護班第6班は、5月8日から5月11日まで岩手県釜石市の鈴子広場を活動拠点とし、釜石市の旧釜石第一中学校体育館避難所や大槌町の避難所や個人宅への巡回診療を行いました。
受診内容は高齢者の方が多く、慢性疾患に対する定時処方や感冒・上気道炎・不眠などが多く見られました。他のグループの避難所ではインフルエンザの方が数人ですが出ていたようです。また、震災後から血圧の上昇傾向が認められる方が多かったのが印象的でした。市町内の医療機関や院外薬局も徐々に再開し始めている状況であり、今後は徐々に市町内のかかりつけ医の医療機関に繋げていくことが患者様にとって有益なことと思われますが、現実には交通機関等の問題もあり難しい面もあると思われます。
津波の被害がない地域では、街も通常に近い活動をしているところもありますが、大槌町を中心に津波の被害を受けたところは瓦礫も多く復興への道程はまだまだ長いという印象でした。被災地が一日も早く復興できることをお祈りいたします。

救護班第6班1
救護班第6班2
救護班第6班3
救護班第6班4

2011年4月

医療救護第5班が出動

救護班 第5班は、4/9~4/12まで救護班3班・4班と同じ福島県あづま運動公園内の体育館での救護活動を行ってきました。

3/11の災害から約1か月がたち体育館に避難された方は約980人と減ってきました。更に4/10から4/14までに約200人の方が被災者を受け入れてくださるホテルや民宿・ロッジなどに移動が決まり、随時移動をされている状況でした。体育館救護所の受診者数は約50人前後。受診内容は高齢者が多く慢性疾患に対する処方。感冒や上気道炎、不眠などです。医療体制は福島市内の医療機関が可動したため、点滴・注射が必要な方・レントゲンや心電図などの検査が必要な方について紹介状をもって医療機関を受診していただく方向へと変わってきました。体育館内での要介護者においては救護班の巡回診療と保健師の巡回での情報を共有し、より良い介護サービスの提供に繋げられるよう毎日カンファレンスを行いました。4/11活動終了したあと震度5弱の地震が発生しました。皆様にはご心配おかけしましたが体育館の避難所また福島市内において被害はなくホットしました。

被災者の方から「日赤の方にはお世話になった。ありがとう。」「救護所があるから安心していられる。」といった言葉をかけられ励みになりました。

救護班 第5班1
救護班 第5班2
救護班 第5班3
救護班 第5班4

2011年4月

石巻赤十字病院 看護業務支援

石巻赤十字病院において、平成23年4月9日~14日まで看護業務の支援に行ってきました。私たちはそれぞれ内科病棟に所属し、患者の日常生活の援助を中心に看護を実践しました。病院のライフラインは復旧し、トリアージエリアが撤去されたり、通常の外来診療が開始したりと、病院機能が回復してきており、少しずつ落ち着いてきている時期でした。しかし入院してくる患者は、避難所や、津波を免れた自宅の二階などで生活されている方が多くいらっしゃいました。津波のときの状況や被害の詳細、退院したくても戻る家がない、今後の生活への不安など、看護ケアを通してさまざまな思いを聴かせていただきました。また、長引く避難所での生活で、心疾患、糖尿病などの食事療法ができず、コントロール不良で入院されてくる方もおり、長期的な問題も出始めていると感じました。

短い期間ではありましたが、現地で温かく迎えてくださったスタッフの方々に深く感謝いたします。

(中澤看護師・清野看護師)

石巻赤十字病院
石巻赤十字病院2
石巻赤十字病院3
石巻赤十字病院4

2011年3月

医療救護第4班が出動

第4救護班は、3月31日から4月3日まで福島県あづま総合体育館の救護所での診療、体育館内の巡回診療、福島大学と本宮高校の避難所への巡回診療を行いました。福島県では、地震・津波・放射能・風評被害の4つ「災害」があると話されていました。放射能は見えない敵で先が見えないことへの不安と慣れない避難所生活の疲労が伺えました。また、津波で避難していたお母さんは、「避難しているこの時間がもったいない」と話され、1歩先を見ている言葉が印象に残り、私たちも力をもらいました。被災地が一日も早く復興できることを祈ります。

第4救護班
第4救護班2
第4救護班3
第4救護班4

2011年3月

医療救護第3班が出動

第3班救護班は、3月22日〜25日まで福島市あずま総合運動公園内の体育館救護所での診療活動と体育館内の巡回診療を行いました。避難者は約1300人でまだ外は雪が舞うこともある寒い日が続いていました。体育館内で過ごす方々は、防寒着に毛布をかけている状況でした。

救護所受診の方の多くは、風邪症状や日頃内服していた血圧の薬やアレルギーの薬が切れるといった方でした。また、震災時のことを思い出すことによる不眠や周りの音での不眠、生活環境の変化による便秘の方も多かったです。インフルエンザの方も毎日数人ずつ出てきたのでその方々が休まれる部屋を別にして感染予防をはかりました。

印象に残ったのは、妊娠初期の女性が、「こんな状況下で家族に妊娠したことを言えない」という方がいたことです。その方の今後の対応については、救護班のメンバーの助産師が保健師と連携して決めて行きました。

今回、心のケアを行う時間は取れませんでしたが、救護所の活動に追われるなか、問診時など被災者の話をなるべく聴くようにしました。

最後は次の救護班に状況を詳しく伝達し活動がうまく継続できるようにしました。

救護班1
救護班2
救護班3
救護班4
救護班5
救護班6

2011年3月

医療救護第2班が出動

日本赤十字社栃木県支部の要請に基づき、当院から医療救護班第2班が3月14日夜、宮城県岩沼市役所へ出動し、3月17日夜に無事に帰院いたしました。救護所内での医療活動のほか、地元の医師と協力し巡回診療も行いました。現地では電気は復旧しましたが、まだ断水は続いています。気温が低いため風邪や胃腸症状を訴える方々が多く、こころのケアが必要な方も増えてきています。

救護所
救護所の様子1
救護所の様子2
救護所の様子3
救護所の様子4
救護所の様子5
救護所の様子6
救護所の様子7

2011年3月

医療救護第1班が出動

日本赤十字社栃木県支部の要請に基づき、当院から医療救護班第1班が3月11日夜、茨城県北茨城市役所へ出動し、3月13日昼に無事に帰院いたしました。

2011年3月

芳賀赤十字病院DMATチーム出動

3月11日夜に出動し、仙台医療センターの救急外来支援任務を無事に終了し3月12日夜に帰院いたしました。

災害時における支援協力に関する
協定

「災害時における支援協力に関する協定」協定書締結一覧

「災害時における支援協力に関する協定」について

この協定は、東日本大震災等の大規模災害が発生した場合に、災害拠点病院である当院が傷病者の受入れや救護活動を円滑に実施できることを目的としています。
東日本大震災では、建物の被災によるライフラインの遮断や水、食料品の供給に苦慮しました。このような経験を生かすため、協力支援体制が重要であることから支援協力を各方面に依頼しているところです。

何卒、ご支援ご協力を賜りますようお願い申し上げます。

「災害時における支援協力に関する協定」協定書締結一覧
主な協力内容 締結年月
1 LPガスの供給等 平成24年1月
2 建物・設備の復旧作業等 平成24年3月
3 飲料水の提供 平成21年5月
4 施設の電気設備の点検・復旧等 平成24年6月
5 各種医療用ガスの供給 平成24年9月
6 水・食料品等の支援 平成24年9月
7 ガソリン、灯油、軽油等の供給等 平成24年12月
8 ガソリン、灯油、軽油等の供給等 平成26年8月
9 灯油、CA重油の供給 平成26年8月